人物:
 アイザック・ニュートン(数学・物理学者)
  *後にサーの称号を与えられる
 
生没:
 1642年12月25日〜1727年(独身)
 
概略:
 中世最高の天才数学・物理学者。「中世の頭脳」と呼ばれる。反射望遠鏡の発明者でもある。
 
 少年時代から工作が得意であった。友達がいなかったため、ほとんど外で遊ぶこともなく、部屋に閉じこもって工作読書に明け暮れる毎日であったという。
 
 万有引力の法則を発見するも、その存在原因がどうしてもわからず、考えすぎてノイローゼになる。結局「神の思し召し」との結論に至る。
 
 ケンブリッジ大学在学中、研究に際して太陽を肉眼で凝視したり、眼のくぼみに針を押しつける等、体を張った危険な実験もしていたらしい。
 
 フックの法則で有名なロバート・フックと、万有引力の法則について先取権争いをする。また、光と色に関して激しく論争したこともあり、フックのことは特別嫌っていた。現在フックの肖像画は1枚も残っていないが、フックの死後、その肖像画群をことごとく破棄したらしい。
 
 微分・積分学を確立。その時期がライプニッツと微妙に前後していたため、後にライプニッツと激しい先取権論争を繰り広げる。フックやライプニッツ以外にも次から次へと、とにかく死ぬまで論争の絶えることはなかった。
 
 国会議員、造幣局長官、王立協会会長を歴任。議員時代は寡黙、長官時代は断行型、会長時代は独裁者であった。後半生は科学者というより、むしろ政府のVIPであった。
 
 死後、毛髪から多量の水銀が検出される。当時、錬金術には水銀を使用し、しかも生成した金属を自分の舌で舐めて調べていたらしい。若い頃から科学以上に膨大な時間を錬金術に費やしていた。
 
著作:
 自然哲学の数学的原理(プリンキピア)
 光学
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